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皆さんこんにちは!
株式会社Akisai、更新担当の中西です。
本日は第7回新聞配達雑学講座!
ということで、新聞配達の歴史や背景、その社会的意義について深く掘り下げていきます♪
新聞配達は、日本のメディア文化の一部として長い歴史を持ち、特に戦後の高度経済成長期には、新聞の普及を支える重要な役割を果たしました。
目次
日本の新聞が広く一般に普及し始めたのは明治時代(1868年~1912年)です。それ以前にも「瓦版(かわらばん)」と呼ばれるニュースの簡易版が江戸時代に存在していましたが、現在の新聞の形が確立されたのは明治期に入ってからです。
明治時代後半になると、新聞社は読者を増やすために販売方法を工夫し始めました。その一環として新聞販売店を通じた配達制度が生まれました。当時の新聞は駅や街頭で販売されることが一般的でしたが、定期購読者へ直接届けるサービスが始まり、新聞配達員の存在が必要になったのです。
大正時代(1912年~1926年)から昭和初期(1926年~1945年)にかけて、新聞の発行部数が急増し、新聞配達の仕組みも整備されていきました。
新聞社は、販売を専門とする新聞販売店を各地に設け、配達業務を委託する形をとるようになりました。これにより、新聞配達は全国に広がり、都市部だけでなく地方にも新聞が行き渡るようになりました。
第二次世界大戦(1939年~1945年)の時期になると、新聞は戦時報道のための重要なメディアとなり、政府の統制下で発行されるようになりました。しかし、戦況が悪化すると紙の供給が不足し、新聞の発行部数が減少。さらに、若い男性が戦争に徴兵されたことで、新聞配達を担う人手も不足しました。
戦後の復興とともに、日本の新聞業界も再び活発になりました。特に1950年代から1970年代にかけて、日本は高度経済成長期に入り、新聞の発行部数も急増しました。
この時期に誕生したのが、新聞奨学生制度です。新聞奨学生制度とは、地方から都市部に出てきた学生が、学費や生活費を稼ぐために新聞配達を行う制度です。これは多くの若者にとって、学業と仕事を両立できる貴重な機会でした。
1990年代以降、日本ではインターネットの普及が進み、新聞の発行部数は減少し始めました。特に2000年代に入ると、ニュースは紙の新聞ではなく、インターネットやスマートフォンで読む時代へと移行しました。
新聞の購読者が減少するにつれ、新聞配達の仕事も減少し、新聞奨学生制度を利用する人も少なくなりました。また、労働環境の厳しさや少子化の影響で、新聞配達員の確保が難しくなっています。
新聞配達はかつてのような全盛期を迎えることは難しいかもしれませんが、依然として多くの人々にとって朝の生活の一部であり続けています。
新聞配達は、明治時代から現代にかけて、日本社会とともに発展してきました。戦後の復興や高度経済成長を支え、多くの若者にとっての労働機会を提供してきた歴史があります。しかし、近年では新聞離れやデジタル化の波により、新聞配達の在り方が問われる時代となっています。
今後、新聞配達は単なる「紙の新聞を届ける」だけではなく、新たな情報提供の形として進化していく可能性があります。時代の変化とともに、新聞配達の未来もどのように変わっていくのか、引き続き注目していきたいですね。
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